2011年3月21日月曜日

おばあちゃん、そんなこと言わないで!

いまだ被害者の数さえ特定できない、未曾有の大惨事となった 『東北地方太平洋沖地震』 ある日、ふと目を止めたテレビの被災者インタビューに、涙が止まらなくなりました。 80歳くらいのおばあちゃんがつぶやいた言葉です。 「何もない、家もない、生きていて良かったんだろうか…」 しばらく沈黙が続き、おばあちゃんの優しい瞳から こぼれ落ちた大粒の涙。。。 その時一瞬映ったリポーターのマイクを握る手が震えていました。 おばあちゃんと一緒になって泣いているのだとすぐにわかりました。 被災に遭われた方同士、力強い言葉で励まし合ってはいても、このおばあちゃんのように心のどこかでは自暴自棄になっている方も少なくないはずです。 でも、おばあちゃんが発した言葉の意味は、若い人が言うのと違うのかもしれません。 「私が生きていても働けるわけではないし、みんなのお世話になるだけ…」
そう考えて、虚しくなったのだと思います。 人は大きな悲しみが訪れると、自分がどんなに小さな存在かを実感するものです。 未来ある若者達がこの復興の大きな軸になっていくのでしょうが、私はこの放送を見て、かつて戦争を経験したお年寄りにどうか思い出してほしいと思いました。 自分達が今の日本を切り開いたのだということを。 日本人が勤勉で働き者だと言われるようになったのも、その世代の影響が大きいのではないでしょうか。だから日本はこんなちっぽけな島国で、目覚ましい発展を遂げられたのだと思います。
今はテレビも『震災』一色ですが、本当に大変なのは今ではありません。これからです。気の遠くなるような日々が続くと思います。だからこそ、このおばあちゃんのように心が折れてしまう方を少しでも減らせるように、今は安全な場所にいる私達が考えていくべきだと思いました。押しつけではなく、本当は何を必要としていて、何をしてあげることが最善なのか。
津波でバラバラになった家の惨状を見て思います。 「あぁ、この家も思い出が流されてしまったんだ…」 お金も大事です。でも写真も手紙も二度とかえってこないのだと気付いた時、胸が痛くて仕方ありませんでした。あとは記憶だけです。 その試練がどんなにつらいものなのか、同じ経験をすることでしか理解してあげられません。 だからこそ、今は励ましのメッセージを送ったり、本当に復興がすすむまで、自分にできることを考え、行動していきたいと思います。
『明日は我が身』 今も被災地や原発で、見ず知らずの人々を助けるために奔走している方がおられます。 そんな方々の心は本当に崇高だと思います。 人の命に寄り添う仕事をしている私達ですから、他の誰より人の痛みを知らなくてはなりません。 帰る場所があって、毎日温かいご飯が食べられる自分がどれだけ幸せなのか。 私は今の気持ちを忘れないように、この震災の記事が載る新聞を復興が果たされる時まで ずっと目につくところに置いておこうと決めました。もうひとつは自分のために買い占めという浅はかな行動に走らないこと。関東、東北の親戚家族のため、支援物資のためならば仕方はないでしょうが、他の地域でそんなことが起これば、本当に必要な場所へ届けられなくなるということを、なぜ考えられないのでしょうか。これには憤りを禁じ得ません。
一人一人ができることは本当に小さなものかもしれませんが、それが何百人、何千人の輪になって大きな力になることも改めて実感しました。 決して人事ではない震災。被災者以外で真剣に考える人が多ければ多いほど、未来は明るく、日本はますます素晴らしい国になると感じた、大きな大きな出来事でした。 重たい内容になってしまいました(^_^;) 長々と読んでいただいて、ありがとうございました。 お礼状制作部 篠原

0 件のコメント:

コメントを投稿

お知らせ

マコセ社員blogを見て頂き、ありがとうございます。 2021年4月1日から下記へblogを移行しました。 https://e-macose.jp/blog/