タモリさんが赤塚不二夫さんの弔辞を読んだ(正確には読んだふりをした)
頃より少し後、五十嵐社長が「これからこんな依頼も来るぞ、参考にしろ」
的な感じで、(おかしな日本語使ってすいません)
おもむろに弔辞の本を置いていって下さったことを覚えています。
初めて作ったのは それより前でしたが、最初はどんな質問をして、どんな風に
書けばいいのか手探りで、胃がキリキリ痛んだような気がします。
でもそれも今となっては懐かしく、何をするにも『初めて』だった頃の
ドキドキ感が愛おしくもあります。
今続々とマコセに入社してくる新人さんはきっと毎日、
そんな気持ちなんでしょうね…
私もかつて、「もう切れる〜」(頭の血管が)と、何度思ったことでしょうか。
でも人って強いんですね。喉元過ぎれば…(仕事が終われば)ってやつです。
これから寒くなるにつれ、残念ながら旅立ちを迎える方は増えます。
オペレーターが皆、明らかに人相が変わる日々がまたやってくるのですが、
人のお役に立てるこの仕事に大いなる誇りをもって、
自分にできうる全てを捧げていきたいと思う今日この頃です。
そう言えば、高校生の時、交通事故で亡くなった祖母の弔辞を読んだのが
本当のデビューでした。
多分、泣いて泣いて、何を言ってるかわからなかったと思います。
shino
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