2015年10月22日木曜日

戦争について考える

私にとって身近な存在で、かつ戦争のことを一番語ってくれたのは大伯父(父方の祖母の兄)で、
鹿児島県本土の右側、大隅地方にあった鹿屋海軍航空隊の所属でした。
(基地の跡地は現在、海上自衛隊 鹿屋航空基地と歴史資料館になっています)
鹿児島で特攻基地というと薩摩半島にある知覧が有名ですが、「鹿屋もなんだよ!」と声を大にして言いたいところ。

大伯父は、若い頃から苦労してきました。

農家の長男として生まれ、
10代後半で父親が亡くなったため戸主になり、
20歳の時に徴兵され、日中戦争と太平洋戦争に従軍。
一式陸攻(一式陸上攻撃機)の整備兵として南洋を転戦し、
ラバウルで終戦を迎え、
復員船(空襲に遭って甲板が ひしゃげたままの元・空母)に乗って帰国。

かーなーりー端折りましたが、生きるか死ぬかの瀬戸際で踏ん張り、凄惨な光景を嫌というほど見てきたはずです。
当時のつらい経験を思い出すのは嫌だ、と思う一方、心のどこかでは「誰かに話したい」とも思ったのでしょう。
大伯父の子は娘ばかりで息子がいなかったため、甥っ子達が話し相手になっていました。そして、甥っ子達は影響を受けまくりました。
(飛行機好きだったり、自衛官になったり、30年近く海外生活送ったり…)

大伯父の几帳面さが出ているのは、当時の関係書類を今でも大事にとってあること。
軍票や感状(功績に対する感謝状のこと)、後年 恩給のために発行された加算恩給履歴申立書が残っているのです。
大事な書類を汚してはいけないので、普段はコピーをとったものを使っています。





(…あ、あれ? 何気に、すごい人の名前が書かれてないか?)

これらの資料が現存するからこそ、戦争関係の本や地図、文明の利器・インターネットを使って、大伯父の歩みを辿ることができます。
実は、文章にまとめている真っ最中。最近読んだ本は、大伯父と同じ部隊か近い部隊に所属していたらしい方の手記という有様です←可愛らしさの欠片も無い
大伯父は、11月で95歳。
昔と比べて更に細身になった気がしますが、まだまだ元気です。
ただ、いつお迎えが来てもおかしくない歳ですので、早くまとめなければなりません。
「じやん(=じいちゃん)、来たよー」と声をかけたら
「おー、よう来たがー」と言って、笑ってほしい。
願わくは、これからも健やかに過ごして頂き、100歳を迎えられますように。



あと、今回どうしても書きたかった言葉が1つ。
学生の頃から愛読している小説の中に、こんな台詞があるのです。

「人間が年齢の順に死んでゆくのが、まともな社会というものだ。わし(軍隊で偉い立場にある老齢の方)のような老兵が生き残って、少年たちが死ぬような社会は、どこか狂っとる」

国外の戦争や紛争をニュースで見ながら、この言葉を思い出します。
戦争は、百害あって一利なし。
争いごとによって何の罪も無い人の命が奪われることの無い、平和な世の中を望みます。


written by. E

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