2019年2月7日木曜日

人魚の眠る家



こんにちは! 8月以来、ちょうど半年ぶりの登場
K理のまっちゃんです(^^)
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今回のブログ、何を書こうかな〜と思っていたところ、
最近読んだ本のことが思い浮かびました。
東野圭吾先生の、「人魚の眠る家」 (最近、映画にもなりました!)





みなさんは「脳死」について考えたことはありますか?
この物語は脳死がテーマのお話です。
脳死しているであろう娘を、“死”と認めたくない母親が強く描かれてます。
ぜひ読んでほしいので、内容について多くは語りませんが、
生死の判断、何をもって死とするのか、命とは・・・?考えさせられる作品です。
そして、とても勉強になりました。


“脳死”とは、呼吸などを調節している脳幹という部分も含めて脳全体の機能が停止し、
元には戻らない状態をいい、脳死になると、意識は完全に失われ、
痛みや外からの刺激にも反応せず、自分の力では呼吸もできない。



世界のほとんどの国では、「脳死は人の死」とされています。
ですが、日本では“臓器を提供する意志がある場合に限って脳死を人の死”とする。
つまり、“脳死であろう状態”であっても臓器提供の承諾がなければ
脳死と判断されないということです。


医学が進み、自発的に呼吸ができなくても人工呼吸器で呼吸が継続されたり、
心臓も機械の力で動かし続け、体温も維持することができます。
脳が死んでいる状態=もう人間としての機能を維持できない。
頭では分かっていても、目の前にいる我が子の体は温かい、
奇跡は起きるんじゃないか、いつか目を覚ますのではないか・・・。
臓器提供に承諾し、脳死判定をしてしまえば、娘の“死”が証明されてしまいます。
人魚のように眠る娘、果たして生きてるといえるのか?
でも心臓は動いてる、呼吸もしてるし死んでるわけでもない・・・?

すごく苦しいお話ではありましたが、脳死や臓器提供に関する日本の実状も書かれており、
勉強になりました! 知るべきことだなと思いました。



ちなみに、マコセ図書で借りました〜!笑


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