2016年8月18日木曜日

第二のお父さん

残暑厳しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?
世間のお盆休みも終わり、樟南高校も甲子園敗退の知らせに、少し切ない夏の終わりを感じています。
さて第二のお父さんと聞くといろいろ想像してしまいますが、私にとっての第二のお父さん「岡山のおじちゃん」のことを、この場をお借りして少しご紹介させてください。

おじちゃんは祖母の弟(6人兄弟の5番目)で、祖母が長女ということもあり、祖母よりも私の父との方が年も近く、ひとりっ子だった父にとっては実のお兄ちゃんのような存在だったそうです。幼い頃から本当によく面倒を見てもらったと、父がいつも話していました。
兄や私が生まれてからも、とても可愛がってくれました。鹿児島と岡山で距離は離れていたけれど
夏休みに会えばいつも優しく頭を撫でてくれましたし、小さい時はほっぺにチューもしてもらっていた気がします。
おじちゃんは不思議なほど小さな子供からよく好かれる人で、なぜだか私も昔から特別大好きな存在でした。
親戚の子供達みんなが大好きなおじちゃんに、私は特に可愛がってもらっていたと自負しています。
大学進学や就職などで、徐々に会う機会は減っていきましたが、それでもおじちゃんがどこか特別な存在であることは
ずっと変わりませんでした。離れていてもいつも私を応援してくれている、そう思っていました。

そんな大好きなおじちゃんが、昨年の夏に他界しました。以前から体調がよくなく、身体のあちこちを切っていて、
もう長くはないと聞いていました。それなのに私は忙しいからと会いに行くこともしませんでした。
すごく心配だったけれど、なんだか久しぶりすぎて気恥ずかしくて連絡もできませんでした。
最後にあったのは親戚の結婚式。「早く(結婚)しないとおじちゃん間に合わないよ」と言われたのが最後の会話でした。
私もおじちゃんにウエディングドレス姿を見せたかったけれど、残念ながら何の予定もなく、叶いませんでした。がくし


大雨が降ってとても蒸し暑かった夏の夜、両親からの電話でおじちゃんが亡くなったことを知りました。
ものすごく動揺して、夜遅くだったにもかかわらず同僚や先輩、上司に電話してしまったのを覚えています。
そして無理を言ってお休みを変わって頂き、日帰りで岡山へ向かい、葬儀にだけ参列してきました。
遺影の写真はおじちゃんらしい優しい顔で、今にも「元気にやっとるか?」って声が聞こえてきそうなのに、
棺の中を覗いたらまるで作り物みたいになったおじちゃんが眠っていました。伝えたいことがたくさんあったのに、
言葉もでなくて、触れることもできず、ただ涙がこぼれただけでした。
葬儀はおじちゃんが溺愛していた孫や、親しい友人の方の挨拶などが思いの伝わるいいもので、あったかい式でした。

会葬礼状を書かせて頂くこのお仕事に就いて、ご遺族のお話などを伺っているうちに、「亡くなってもどこかで見守っていてくれるだろう、どこか遠いところでまた楽しくやっているのだろう」そんな風に考えて心を慰めることもできると
知りました。だからでしょうか、私もなんだかおじちゃんが岡山にいた頃よりも、もっとずっと近くで私を見ていてくれるような気がしています。いまだにおじちゃんの笑った顔と私の名前を呼ぶ声がセットで浮かんできてはすぐに涙がこぼれるけれど、おじちゃん私頑張るけん、ずっとずっと見ていてね。



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